東京高等裁判所 昭和57年(ネ)916号 判決 1983年5月16日
控訴人 松平達(旧氏名陳東達)
右訴訟代理人弁護士 山本英司
同 石川憲彦
被控訴人 坂本兼子
右訴訟代理人弁護士 武田峯生
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 控訴人は被控訴人に対し金五三万七九三五円及び内金二万四九三五円につき昭和五四年七月二六日から、各内金二万七〇〇〇円につき同年八月以降昭和五六年二月までの各月二六日から、それぞれ完済に至るまで年一割の割合による金員を支払え。
2 被控訴人・控訴人間における別紙目録記載の土地賃貸借契約について、昭和五六年三月一日以降の賃料が一ヵ月金六万七〇〇〇円であることを確認する。
3 被控訴人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その二を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
事実
一 当事者の求めた裁判
1 控訴人
「原判決中、控訴人敗訴の部分を取消す。右取消にかかる部分につき被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決。
2 被控訴人
控訴棄却の判決。
二 当事者の主張
1 (被控訴人の請求原因)
(一) 被控訴人は、昭和二四年六月一日、控訴人との間で、その所有にかかる別紙目録記載の土地(以下「本件土地」という。)について貸主を被控訴人、借主を控訴人とする建物所有目的の賃貸借契約を締結し、以後控訴人に対し継続して同土地を賃貸しているものである。なお、右契約中には賃料の支払日を毎月二五日とする旨の定めがある。
(二) ところで、昭和五一年六月現在における右契約上の本件土地賃料は一ヵ月金三万円であったが、固定資産税の大幅な増額やその他の経済事情の変動により、右賃料額が不相当となったため、被控訴人は、同月二一日、控訴人に対し、同年七月一日から右賃料を一ヵ月金九万五九〇円に改訂する旨の増額請求(以下「第一次増額請求」という。)の意思表示をした。しかし、その後も引続いた前同様の経済事情の変動により、右改訂賃料も再び不相当となったため、被控訴人は、昭和五四年七月二日、控訴人に対し、同賃料をさらに一ヵ月金一一万二四三〇円に改める旨の増額請求(以下「第二次増額請求」という。)の意思表示をした。
(三) しかるに、控訴人は被控訴人に対し、昭和五一年七月分から昭和五六年二月分までの本件土地賃料として、それぞれ次のとおり支払っただけで、その余の支払に応じない。
(1) 昭和五一年七月分 金三万円
(2) 昭和五一年八月分から昭和五四年六月分まで 各月金三万五〇〇〇円
(3) 昭和五四年七月分から昭和五六年二月分まで 各月金四万円
(四) よって、被控訴人は控訴人に対し、昭和五一年七月一日から昭和五六年二月末日までの本件土地賃料のうち、前記各増額請求により改訂された各金額と控訴人の各支払額との差額合計金三四五万四八四〇円、及び各月ごとの差額に対するその月の二六日からそれぞれ完済に至るまで借地法所定年一割の割合による利息金の支払を求めると共に、昭和五六年三月一日以降の本件土地賃料が一ヵ月金一一万二四三〇円であることの確認を求める。
2 (請求原因に対する控訴人の認否・反論)
(一) 請求原因(一)の事実は認める。
同(二)の事実のうち、昭和五一年六月現在の本件土地賃料が一ヵ月金三万円であったこと、及び被控訴人主張の日にその主張のとおりの各増額請求の意思表示があったことは認めるが、その余を争う。
同(三)の事実は認める。ただし、後記抗弁のとおり、昭和五一年七月分の賃料としての支払額も金三万五〇〇〇円である。
(二)(1) 昭和五一年六月当時の一ヵ月金三万円という賃料は、被控訴人・控訴人間の東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第六六〇七号地代増額請求事件について、昭和五〇年一〇月九日成立した裁判上の和解により定められたものであり、それから被控訴人による第一次増額請求までのわずか八ヵ月の間に賃料の増額を正当化するに足りるほどの経済事情の変動があったとは考えられない。
(2) 本件土地賃料の算定にあたっては以下のような事情が考慮されるべきである。すなわち、①控訴人は、戦前、中国北京大学教授の地位にあり、外交官として北京の日本大使館に勤務していた亡坂本龍起及びその妻であった被控訴人に対しては諸々の便宜をはかるなど、親密な交際関係があり、同人らの要請により来日と永住を決意し、また、同人らの勤めにより本件土地を借受けたものである。②本件土地賃借にあたり、控訴人は、建物を所有して同土地を占有していた第三者に対して金一〇万円の立退料を支払って明渡を受けたほか、借地権設定料として、被控訴人に対し金五万円を支払った。③本件土地への取付通路は、かつて存在したものも、現に存在するものも控訴人が隣地所有者等と折衝し、かつ、費用を支出してこれを開設したものである。
(3) 本件土地の近隣地代は、昭和五四年度において、一一事例の平均値が三・三平方メートルにあたり月額二一〇・八七円であり、昭和五六年度において、一〇事例の平均値が三・三平方メートルにあたり月額二二二・六一円であって、被控訴人主張の改訂額は余りにも高すぎることが明らかである。
3 (控訴人の抗弁)
被控訴人の第一次増額請求を受けた控訴人は、その直後ごろ、被控訴人の代理人であった今野勝彦弁護士と折衝のうえ、同弁護士との間で、昭和五一年七月一日以降の本件土地賃料を一ヵ月金三万五〇〇〇円とする旨の合意をし、被控訴人に対し、同月から昭和五四年六月までの三年間にわたり、毎月金三万五〇〇〇円宛を支払い、被控訴人は何らの異議を唱えることなく、これを受領し続けたものである。したがって、今野弁護士との間の右合意が明示的に成立していないとしても、被控訴人との間で右同趣旨の黙示の合意があったというべきである。
三 証拠関係《省略》
理由
一 請求原因(一)の事実、及び同(二)の事実のうち、昭和五一年六月当時の本件土地賃料が一ヵ月金三万円であったこと、被控訴人が控訴人に対し、それぞれその主張の日に主張のとおりの第一次、第二次増額請求の意思表示をしたこと、並びに控訴人が被控訴人に対し、昭和五一年七月分から昭和五六年二月分までの本件土地賃料として少くとも請求原因(三)の金員を支払ったことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 そこでまず、第一次増額請求とこれに基づく本訴請求部分について判断する。
《証拠省略》によれば、昭和五一年六月当時の一ヵ月金三万円という本件土地賃料は、昭和五〇年一〇月九日に成立した被控訴人・控訴人間の東京地方裁判所昭和四九年(ワ)第六六〇七号地代増額請求事件にかかわる裁判上の和解により、同年四月一日以降の分として増額改訂されたものであり、したがって、同改訂時(昭和五〇年四月一日)から第一次増額請求時まで一年二ヵ月余が経過していることが明らかであるけれども、原審における鑑定の結果によると、その間、土地の価格は一般的に横ばい状態で推移したことが認められるところ、本件土地につきこれと異る事情があったことをうかがうべき証拠はない。もっとも、右鑑定結果によれば、本件土地の公租公課は、昭和五〇年度に金二七万四七一二円であったものが昭和五一年度には金三一万三三四六円に増額されたことが認められるが、これだけでは前示一年二ヵ月余の間に既定賃料額を不相当化するほどの経済的事情の変動があったものとは解しがたく、他に右経済的事情の変動があったことを肯認すべき具体的事実についての主張立証はない。してみると、被控訴人の第一次増額請求は、本来、その効果を生ずるに由ないはずのものであったといわなければならない。
しかしながら、右増額請求の当否はさておき、これを契機として、被控訴人・控訴人間において、昭和五一年七月一日以降の本件土地賃料を一ヵ月金三万五〇〇〇円とする旨の合意が成立したものというべきである。けだし、控訴人が被控訴人に対し、昭和五一年七月分から昭和五四年六月分までの賃料として、少くとも請求原因(三)の(1)及び(2)の各金員を支払った旨の前記争いのない事実に、《証拠省略》によると、被控訴人の第一次増額請求を受けた控訴人は、当時、被控訴人から右増額請求及びこれに基づく賃料額決定についての権限を授与されていた弁護士今野勝彦と折衝し、昭和五一年七月中旬ごろ、同弁護士に対し一ヵ月金三万五〇〇〇円とする限度で本件土地賃料の増額に応ずる旨を通告のうえ、被控訴人に対し、同月から昭和五四年六月まで、毎月金三万五〇〇〇円宛(昭和五一年七月分についても同額)を送金し続けたこと、これに対し被控訴人は、第二次増額請求に至るまでの三年間、何ら異議を述べることなく、またそれを超える金額の支払を求めることもなく、右各金員を受領していたことが認められるところ、これらの事実に弁論の全趣旨を総合すれば、被控訴人ないしその代理人の今野弁護士と控訴人との間で、昭和五一年七月中旬ごろ、本件土地賃料を同月一日以降一ヵ月金三万五〇〇〇円とする旨の黙示の合意が成立した事実を推認することができるからである。
以上によれば、被控訴人の本訴請求中、昭和五一年七月分から昭和五四年六月分までの差額賃料及びこれに対する借地法所定の利息金の支払を求める部分はいずれにしても理由がなく、失当として排斥を免れないというべきである。
三 次に、被控訴人の第二次増額請求とこれに基づく本訴請求部分について判断する。
1 前示鑑定結果によれば、昭和五一年度に金三一万三三六四円であった本件土地の公租公課が昭和五四年度には金四二万七五〇九円に増額され、その間、一般消費者物価も一七パーセント程度上昇したことが、日本不動産研究所発表の市街地価格指数によれば、六大都市の住宅地価格は同期間中に二四パーセント程度騰貴したことが、それぞれ認められる。してみると、昭和五一年七月一日以降の一ヵ月金三万五〇〇〇円という本件土地賃料は右のような経済的事情の変動により、被控訴人の第二次増額請求時において不相当に低額化し、右増額請求に基づき、昭和五四年七月三日以降相当額に改訂されたものということができる。
2 そこで、右相当額について検討するに、この点に関する前示鑑定結果は、いわゆる利廻り方式、スライド方式、賃貸事例比較法の三方法を総合して結論を導いているものであるが、これを個々的にみた場合、利廻り方式は〇・一五七パーセントという異常に低い期待利廻りを採用しながら、これを採用することの合理性についての検討を欠く点において、スライド方式は昭和五〇年四月一日以降の一ヵ月金三万円という前示賃料額を基礎価格として採用しながら、右賃料額がその改訂時点で合理性を有するものであったかどうかの検証を欠く点において、賃貸事例比較法はその採用にかかる賃料事例と本件土地賃料との比較に際し、主として、賃貸借契約締結に至った事情等、賃貸借当事者間の主観的・個別的事情の相似性についての考慮に乏しい点において、それぞれ疑問があるものといわざるを得ない。しかしながら、その結論としての一ヵ月金六万七〇〇〇円という金額は第二次増額請求に基づく改訂賃料として高額にすぎることはなく、昭和五四年七月三日以降の本件土地賃料としては少くとも右金額が相当であるというべきである。けだし、右金額による一ヵ年分の賃料総額は前認定にかかる昭和五四年度の公租公課に二倍にも満たないうえ、右鑑定結果によると、本件土地(別紙目録記載のとおり六八六・五七平方メートル)は、都市計画上の第一種住居専用地域に属し、交通、その他日常生活の便もよい閑静な住宅地であり、第二次増額請求時の更地価格は金二億円を超えることが認められるところ、これらの事情に照らし考えると、控訴人が本件土地賃料算定にあたり考慮すべき事由として主張する事情(当事者の主張欄2の(二)の(2))のすべてを肯認できると仮定しても、前示鑑定賃料額が高額にすぎるとはとうてい解し得ないからである。
《証拠判断省略》
3 以上によれば、それまで一ヵ月金三万五〇〇〇円であった本件土地賃料は、被控訴人の第二次増額請求により昭和五四年七月三日以降一ヵ月金六万七〇〇〇円に改められたことになるから、被控訴人の本訴請求中、昭和五四年七月分以降の賃料にかかわる部分は、控訴人に対し、同月分から昭和五六年二月分までの賃料総額一三三万七九三五円(昭和五四年七月分は金六万四九三五円)と前記のとおり控訴人において支払ずみであることにつき争いのない請求原因(三)の(3)の金員との差額合計五三万七九三五円、及び各月ごとの差額金に対する約定弁済期の翌日であるその月の二六日から各完済に至るまで借地法所定年一割の割合による利息金の支払を求める限度において、また、控訴人との間で、昭和五六年三月一日以降の本件土地賃料が一ヵ月金六万七〇〇〇円であることの確認を求める限度において、それぞれ理由があり、認容すべきであるが、その余は失当として排斥を免れない。
(なお、原判決中には、本件土地賃料が昭和五六年三月一日以降さらに増額されたかのような認定判断が示されているが、これに対応する増額請求その他の増額原因についての主張立証はないから、この部分が不当であることは明らかである。)
四 よって、原判決中、以上に判示したところと結論を異にする部分は不当であるからこれを変更し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鰍澤健三 裁判官 奥平守男 尾方滋)
<以下省略>